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大阪地方裁判所 平成6年(ワ)4837号 判決

原告

久保富美子

ほか二名

被告

田中日

主文

一  被告は原告久保富美子に対し、金一四五一万二二八〇円及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告久保泉に対し、金七二五万六一四〇円及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は原告塩見知子に対し、金七二五万六一四〇円及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

六  この判決は、第一項ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は原告久保富美子に対し、金二三三五万九三五〇円及びこれに対する平成六年六月二四日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告久保泉に対し、金一一六七万九六七五円及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は原告塩見知子に対し、金一一六七万九六七五円及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、足踏式自転車に乗つていたところ、普通乗用自動車に衝突され負傷し、その後一か月を経て死亡した者の遺族が、右運転者に対し、自動車損害賠償保障法三条及び民法七〇九条に基づいて、損害の賠償を求め、事故と死亡との因果関係の存否を巡つて争われた事案である。

一  争いのない事実及び争点判断の前提事実(以下(  )内に認定に供した主たる証拠を示す)

1  事故の発生(争いがない)

(一) 日時 平成三年一〇月二三日午後一一時五分頃

(二) 場所 大阪市生野区中洲二丁目五―一六大阪環状線

(三) 関係車両

被告運転の普通乗用自動車(大阪七八ね四四九四号、以下「被告車」という)

久保昭運転の足踏式自転車(以下「原告車」という)

(四) 事故態様 被告車と原告車が衝突し、久保昭が転倒した。

2  久保昭の死亡(争いがない)

久保昭(以下「昭」という)は、本件事故により脳震盪(逆行性健忘症)、左硬膜下血腫、顔面・両手打撲及び擦過傷の傷害を負つた後、平成三年一一月二一日死亡した。

3  当事者の地位(甲七の1ないし4)

原告久保富美子は昭の妻、原告久保泉及び原告塩見知子は昭の子である。

4  被告の責任原因

(一) 被告は被告車の保有者であり自動車損害賠償保障法三条の運行供用者に当たる(争いがない)。

(二) 被告は交差点を右折するに際し、横断自転車の存在、動静に十分注意を払わなかつた過失がある(乙四、五)。

5  損害の填補 八六万三九三八円(争いがない)

〈1〉 生野病院の治療費 五二万五二四八円

〈2〉 職業付添人付添費用 一六万五六九〇円

〈3〉 慰謝料、雑費 一七万三〇〇〇円

二  争点

1  本件事故と昭の死亡との因果関係の存否、素因減額

(原告らの主張の要旨)

昭は本件事故前、胃、腸、胆のう等の内蔵関係の治療を受けたことがない健康体であつた。ところが、本件事故により脳震盪、右硬膜下血腫の傷害を負い、これらの外傷に基づく外傷性ストレス及び外傷の治療に使われたステロイド剤によつて、平成三年一一月三日ころ、十二指腸穿孔、胆汁性腹膜炎が発現した。よつて、因果関係が肯定できる。

(被告の主張の要旨)

本件事故態様は衝突というよりむしろ接触に近い極めて軽微なものであつたこと、昭の受けた頭部外傷の程度も軽微であり、軽快傾向にあつたことから、本件事故による外傷を原因として十二指腸穿孔に至ることはあり得ない。仮に、本件事故と本件死亡との間の条件関係は否定できないとしても、右のような軽度の外傷患者が突如として穿孔に至るまでの病状に至ることは極めて希であるから相当因果関係は肯定できない。更に、仮に相当因果関係が認められるとしても、昭が家庭不和によつて強い精神的ストレスを受けていたこと、本件事故以前から腹通を訴えていたことから、昭は本件事故前にストレス性潰瘍があつたと推認でき、右疾患が本件事故と相まつて十二指腸穿孔に至つたと考えられる。よつて、九割以上の素因減額がなされるべきである。

2  損害額全般

(原告らの主張)

〈1〉 治療費 五二万五二四八円

〈2〉 入院雑費 三万九千円

〈3〉 入院付添費 一九万七一九〇円

内訳

職業付添人付添費用 一六万五六九〇円

家族付添費用 三万一五〇〇円

〈4〉 逸失利益 二一一四万六四〇〇円

計算式 五〇万円(月額)×一二月×〇・六×五・八七四(就労年数七年に対応するホフマン係数)=二一一四万六四〇〇円

〈5〉 休業損害 五〇万円

〈6〉 入院慰謝料 四八万円

〈7〉 死亡慰謝料 二四〇〇円

〈8〉 自転車の物損 二万一八〇〇円

〈1〉ないし〈8〉の合計は四六九〇万九六三八円であるところ、右金額から前記一の5の〈1〉及び〈2〉の損害填補額を控除した四六二一万八七〇〇円及び〈9〉相当弁護士費用五〇万円の総計四六七一万八七〇〇円について、原告久保富美子は右金額の二分の一である二三三五万九三五〇円、原告久保泉、原告塩見知子はそれぞれ四分の一である一一六七万九六七五円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの遅延損害金の支払いを求める。

第三争点に対する判断

一  争点1(本件事故と昭の死亡との因果関係、素因減額)

1  裁判所の認定事実

証拠(甲二の1ないし3、三、六、八の1ないし7、九の1、2、一〇、一三ないし二八、乙七、八、一一、一二、証人野垣秀和、同上田隆一、原告久保泉本人)及び前記争いのない事実を総合すると次の各事実を認めることができる。

(一) 昭の病歴

昭(昭和二年一月二一日生、事故当時六四歳)は本件事故前、比較的健康で、内臓系の疾患で治療を受けたことはなかつた(特に原告久保泉本人)。

(二) 本件事故による負傷内容

昭は、本件事故後搬送された生野病院において、本件事故日である平成三年一〇月二三日、「脳震盪、左硬膜下血腫、顔面・両手打撲、擦過傷の傷害で、全治二か月。但し、硬膜下血腫の増大あれば日数変更することもある。」との診断を受けた。

昭は、事故時の記憶を喪失しており、著名な逆行性健忘症が認められ、CTスキヤンによる画像上、左後頭部に硬膜下血腫が認められ、角膜からの出血があり、絶対安静を要するとされたものの、意識は鮮明であり、麻痺はなく、左右の瞳孔に差もなかつた。

生野病院においては、CTスキヤンによる画像を脳外科がある警察病院に送付し、診断を仰ぎ、重篤な場合は、電話連絡が入ることになつていたが、昭の場合右連絡はなかつた。相当医である上田隆一は硬膜下血腫の吸収には一か月程度必用との見解を示している(特に甲二の1ないし3、三、証人上田隆一)。

(三) その後の経緯

その後、昭は、頭部外傷の治療に向けられたオルガドロンを投与され、外傷は概ね順調に回復に向かつたものの、同年一一月一日ころ、上腹部通を訴え、潰瘍治療剤の投与を受けたが回復しなかつたため、上田隆一医師において、同月三日、全身麻酔のうえ、開腹手術をなしたところ、十二指腸の上方に穿孔が認められたため、腹腔内を洗浄し、胃の約二分の一を切除のうえ癒合した。その際の昭の潰瘍の外観からは、潰瘍が古いものか比較的新しいものか不明であつた。

右手術後、昭は抗潰瘍剤、抗生物質の投与を受けたが、同月一一日、腹部に移動性の疼痛があり、廃液管を挿入する措置を受けたが、改善が認められず、上田医師において、同月一六日、全身麻酔のうえ、再度開腹手術をなしたところ、十二指腸の前回手術部位の付近で胆汁が漏れ出していたため、腹腔内を洗浄のうえ、癒合した。しかし、昭の病状は悪化に向かい、翌一七日輸血がなされ、一八日には肝機能障害、一時呼吸停止があり、胆汁が再び漏れだしていると診断された。翌二〇日全身状態が悪化していると診断され、二一日死亡するに至つた。直接死因は胆汁性腹膜炎であり、その原因は十二指腸穿孔であると診断された(特に甲三、六)。

(四) 外傷と潰瘍の関係についての医学的知見

いわゆるストレスには例えば家庭不和から生じる精神的ストレス、常識外の出来事、例えば交通事故の外傷、脳外科手術によるストレスが分類され、前者のストレスだけで潰瘍が引き起こされるかどうかについては定説はないが、後者のストレスは潰瘍の直接原因とされている。

頭部外傷患者に限ると報告例によつて多少の差はあるものの、概ね一〇パーセント以上の者に消化器官関係に潰瘍が発生し、その頻度は外傷の重傷度と強い相関関係が認められ、重度の頭部外傷患者に限れば半数以上の者に潰瘍が発生するとの報告例がある。その発生部位は胃及び十二指腸が多く、発生時期は、外傷などのストレス要因が生体に加わつてから比較的短期日、ほとんどが一〇日以内に発症する。急性胃・十二指腸潰瘍の約半数は外傷や手術の後五日以内に、八〇パーセントが一週間以内に発症するとの報告例もある。

近時、ピロリ菌と呼ばれる菌が潰瘍の促進の原因であるとの見方が広まつているが、その働きは未解明の部分が多い。

(五) ステロイド剤の副作用

原告に投与されたオルガドロンはステロイド剤の一種であり、早期に消化器官の潰瘍をもたらす危険がある。

2  対立する医師の見解

本件事故による昭の負傷と死亡との因果関係については、医師野垣秀和、前記上田隆一が共に証人として証言し、相対立する見解を示しているところ、その各証言の要旨は以下のとおりである。

(一) 野垣証言の要旨

頭部に外傷を受けると、ストレスが各所にたまり、その結果十二指腸など内臓に事故後、早期に潰瘍が起きることは、昔から知られた病態である。重大な損傷ほど、右潰瘍は起こりやすく、穿孔にまで進む場合も一割程度に及ぶ。昭の頭部の損傷が極めて重大なものとする資料はないが、事故後間もない一一月三日には手術を要するほどに潰瘍が進んだことを見ると、本件事故によるストレスによると見るのが自然である。一一月一六日に再手術を要するに至つたのは、外傷性のストレス及び一一月三日の手術の重複的なストレスによるものと考えられる。

(二) 上田証言の要旨

昭の頭部の損傷は重篤なものではない。脳挫傷が起きた場合、それが重度なものであろうと軽度なものであろうと、そのことが原因で、潰瘍が進むということはあり得ない。近時、潰瘍はピロリ菌によるものであることが発見され、「ストレスによつて潰瘍が起きる。」というのは否定されるべき考えである。外傷の有無、程度に拘らず、十二指腸潰瘍が初期の段階から穿孔まで進むには少なくとも月単位を要するもので、昭の十二指腸に穿孔が起きたのも、本件事故前からの疾患が進行したにすぎない。一一月一六日の再手術を要したのは、一回目の手術後昭が腹部に力を入れたからだと思われる。

3  裁判所の判断

(一) 因果関係について

裁判所は本件事故と昭の死亡との因果関係を認める。

その因果関係の内容は、昭が本件事故によつて頭部に外傷を負つたことにより、ストレスが起き、これが昭の十二指腸に潰瘍をもたらし、手術を受けたものの、右手術自体もストレスとして働き、更に潰瘍を進行させ、これが原因となつて昭が死亡するに至つたというものである。

前記野垣証言は、それ自体として筋が通っており、頭部の外傷が受傷者に潰瘍を早期に発生させるという医学的機序は、前記のように、医学界の一般的知見と認められること、本件事故前には内臓の疾患で治療を受けたことがない昭が本件事故後二週間足らずで重篤な潰瘍に罹患したこと、更に一回目の手術の後一〇日を経ずして再び穿孔に至つたことを合理的に説明できることから、当裁判所も、右証言内容を採用するものである。ただ、被告の指摘するように、昭の受けた頭部の外傷が重篤なものではなかつた点が問題となり得るが、前記のように、重篤なものほどストレス性潰瘍をもたらしやすいというに過ぎず、外傷が重度でないことが直ちに因果関係を否定する根拠とはなり得ない。また原告の硬膜下血腫はその吸収に少なくとも一か月程度は要するもので、昭の頭部に加わつた外圧の程度及び頭部外傷の程度は、被告が強調するほど軽微なものではないと言うべきである。

他方、上田証人は、そもそも外傷性ストレスによる潰瘍の早期発生ということに否定的である。しかしながらこの見解は、前記医学界に於ける一般的知見と異なる。そして、上田証人が右知見を否定する根拠として挙げるものは、ピロリ菌が発見されたという点に尽きるものであるところ、右証言内容からなぜピロリ菌の発見が直ちに前記医学的知見の否定に結びつくのか、不明である。特に、ピロリ菌の働きは医学的に未解明であると認められるから、上田証人の証言内容は極めて説得力に乏しく、採用しがたい。

なお、被告は、「本件事故と昭の死亡との間に条件関係が肯定できたとしても、相当因果関係はない。」と主張しているが、前記のように外傷性ストレスによる潰瘍の発生は珍しいと言うべき症例でも、また昭に特有の体質から生じたものでもないもので、相当因果関係を肯定できる。

(二) 素因減額について

被告は昭に家庭不和から生じたストレス性の潰瘍が事故前から存したことを前提に素因減額を主張している。たしかに、原告塩見知子の員面調書(乙六)中には「昭が腹痛を訴えていたことがあつた。昭と原告久保富美子は不仲であつた。」とする部分があるが、腹痛の部位も明かでないうえに、腹痛は潰瘍によるものでなくとも起こりうるものであり、これと明の家庭不和とを結びつけて昭にストレス性の潰瘍があつたとは到底認定できない。

二  争点2(損害額全般)について

1  治療費 五二万五二四八円(主張同額、争いがない)

2  入院雑費 三万九〇〇〇円(主張同額)

一において認定したように昭は三〇日間入院し、一日あたりの入院雑費は一三〇〇円と見るのが相当であるから総額は三万九〇〇〇円(一三〇〇円×三〇日)となる。

3  入院付添費 一六万五六九〇円(主張一九万七一九〇円)

(一) 職業付添人付添費用

証拠(甲五の2、3、乙一三)及び弁論の全趣旨によれば右費用として一六万五六九〇円を要したことが認められる。

(二) 家族付添費

証拠(原告久保泉本人)によれば、入院中原告塩見知子が昭に付き添つたことは認められるが、証拠上その期間が明確でないので、慰謝料算定の事情として考慮するにとどめる。

4  逸失利益 八四五万八五六〇円(主張 二一一四万六四〇〇円)

証拠(甲一二の1、2、二九の1ないし3、三〇の1、2、原告久保泉本人)によれば、昭は、広告印刷物の製作販売等を業とする、従業員数名の株式会社日精の代表取締役であり、その確定申告額は二四〇万円であつたことが認められる。右証拠によれば、従業員の中には月額四五万円余の収入を得ている者がおり、右二四〇万円という数字は一見低額ではあるが、昭の跡を継いで代表取締役となつた原告久保泉においても月額の手取収入は二〇万円余にとどまること(原告久保泉本人)、訴外会社は従業員数名の会社であることから、経営者が従業員より低収入であることがあながち不自然とは言えないことから、右確定申告額を基礎収入として逸失利益を算定すべきである。

そこで生活費割合を四割、就労可能年齢を七一歳としての逸失利益を算定すると右金額が求められる。

計算式 二四〇万円×〇・六×五・八七四=四五万八五六〇円

5  休業損害 二〇万円(主張五〇万円)

前記認定の収入を基礎に事故日から死亡日までの休業損害を求めると二〇万円となる。

6  慰謝料 二〇〇〇万円(主張 死亡慰謝料二四〇〇万円、入院慰藉料 四八万円)

昭の生活状況、本件事故態様、入院期間中の昭の精神的・肉体的苦痛も大きかつたこと等本件審理に顕れた一切の事情を考慮して右金額をもつて慰謝するのが相当である。

7  自転車の物損 〇円(主張二万一八〇〇円)

立証がない

第四賠償額の算定

一  損害総額

第三の二の1ないし6の合計は二九三八万八四九八円である。

二  損害の填補

一の金額から前記第一の一5の損害填補額八六万三九三八円を差し引くと二八五二万四五六〇円となる。

三  原告久保富美子の賠償額

1  二の金額に同原告の相続分二分の一を乗じると一四二六万二二八〇円となる。

2  弁護士費用 二五万円(主張原告全員で五〇万円)

本件審理の内容・経過に照らし、被告が負担すべき弁護士費用は少なくとも二五万円に及ぶと認める。

3  よつて、同原告の被告に対する請求は一四五一万二二八〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日たる平成六年六月二四日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

四  その余の原告らの賠償額

1  二の金額に同原告らの相続分四分の一を乗じると七一三万一一四〇円となる。

2  被告が負担すべき弁護士費用は少なくとも右各原告について一二万五〇〇〇円と認める。

3  よつて、同原告らの被告に対する請求は、それぞれ七二五万六一四〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日たる平成六年六月二四日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 樋口英明)

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